テーマはなんと、「『まどか☆マギカ』を通して大無量寿経を読む」!
最近はかなり真面目なテーマが続いたので、この辺りで我々の大好きなサブカル盛り盛りで行きますかね!?ということになりました。「因果応報」や「本願」や「救済」などのことばがバンバン登場した評論回でしたね。未視聴の方にはちょっとキビシカッタ回だったかも知れません。
私が事前に列挙していた、仏教好きのまどか☆マギカ好きだったらすぐに出てくる下記のような質問のうちのいくつかと、その前提理解として、物語全体の構造を2人で議論しました:
1.まどかが最後の願を通してなりえた存在は、莫大な光明、時空間の超越、慈悲への起因、偏在性…どこをとっても阿弥陀仏(無量光仏または無量寿仏)を想起させる。違いがあるとすれば、それは何か?
2.ほむらは「まどかとの出会いをやり直して彼女を助ける存在になる」ことを自身の「願」として、何度も時間を逆行してやり直そうとする。彼女の存在は一体どういうものなのか?仏教パンテオンに類似の存在はいるか?
3.「魔法少女は『絶対に』魔女になる運命」という法則の後ろには、「必ず絶望する未来がやってくる」ということが想定されている。まさにQBが言うように、「祈りから始まり呪いで終わる」という存在であるが、これは何を表すのか?また、「絶望しない魔法少女」は存在するのか?
4.「リスクを取って先行投資しリターンとしての大きなエネルギーを回収する」という位置づけの「インキュベーター」はまさに起業エコシステムにおけるVCの役割と同じ。では、実際のVCとの違いは何か?
5.杏子が語る「命を懸けて戦う必要のあるやつだけが魔法少女になればいい」というセリフを仏教的に見れば、「一切皆苦」の中で皆がある意味、命をかけて己の生を生きている訳だから、「実はみな魔法少女である」側面があると言えるのか、どうか?
6.「願うこと自体が誤りである」というQB。ここでの「願い」を「小欲」または「煩悩」特に「貪り」と捉えると、それへの「執着」として捉えると、極めてその通りとも言える。では、「願う」ことはしても「執着をしない」状態であれば、「絶望」を避ける、つまり魔女になることを避けられるのか?
7.まどかが、ほむらの時間遡行の繰り返しによって「力がどんどん強くなる」ことの意味は?「彼女を中心に因果が回っている」とQBは説明するが、このsingularity(全ての因果の収束先)という概念は、無量寿経の中で表されているか?
8.QBは血も涙もない残酷な存在という描かれ方をされているが、徹頭徹尾、冷静で覚醒した存在として、世界の理を見透かす存在が奇妙な姿を持ったもの、と考えることもできる。作中で何度も、「然るべき装飾を施したら、これが『仏枠』であっても全く違和感ないのでは?」と思ったが、この感想は正しいか?
「…1回だけでは終わりませんね、これ確実に。」と書きましたが、やはり普通に終わらなかったので、次回に持ち越されました!
(上の画像は、公式サイトの無料プレゼントPC用壁紙から; Copyright Magica Quartet: https://www.madoka-magica.com/tv/special/present/movies.html …それにしても、蒼樹うめの可愛らしい絵柄と、本サイトとの場違い感が半端ないな、これ…。実際、ニトロの虚淵玄が書く硬派で真実をえぐるエグイ脚本と、この可愛らしい絵柄との超絶ギャップが本作の魅力なのですけどね…。)