misc. notes/雑文

研究に関する雑感など、1500文字以上のものを徒然に置いています。
Ph.Dの就職活動for民間企業: 企業が博士に期待するもの (2007年7月)

The Worst Trip, the Best Summer Experience(米国ダートマス大での"Summer Institute of Informed Patient Choice"参加報告)  (2008年7月)

英国シェフィールド大での共同研究のための4週間、および、週末のLeedsとLondon見聞 (2009年6月)

 

 

 

 

 

 




Ph.Dの就職活動for民間企業: 企業が博士に期待するもの

私自身では誰も雇用をしていない(パートナー企業との提携および学生アルバイトで間に合うため)ですが、関係企業の雇用の際によく助言を求められることは確かにありますので、その辺りの経験プラス企業人としての知識を動員して、私見ながらちょっと書いてみます。

現在、常勤職についていないpost-docは全国で約2万人います。また、今年度から、国立系大学で戦後初めて大学院の入学枠が減らされました(約200名ほど)。Ph.Dの希望者はどんどん減っており、主な理由は、取得後の受け皿機関が貧弱なことによるものです。特にでかいのは、アメリカと異なり、Ph.Dを会社が普通に高給で雇うという文化がわが国にないこと、それと関係して、Ph.D取得者がほぼ全員アカデミック系のポストに目を向けることです。

私自身これは非常にでかい問題だと考えていますが、省庁の施策もあまり有効に機能しているとは言えません。特に企業と大学とがもっと密接に連携してPh.Dのよさを再認識、プラス、より応用力のあるPh.Dを養う方向で改善すべきなのでしょうね。経団連なども今年緊急提言を作ったはずですので、この好景気を利用して、既に動きがあるはずだと思います。

そういうマクロなトレンドも含めて、私はPh.D後にあえて民間企業への就職を目指す意思決定はとても価値あるものだと考えます。確かに、academic → academicというルートは分かりやすいですし、大学院時代から思考方法やコミュニケーションスタイル、normなどを変えずに生活できます。でも、より大きな世界と接する機会を(特に若い頃には)逸しがちであることも否めません。ですから、学部を卒業し5年にわたるPh.Dトレーニングで身につけた技能を試す意味も込めて、企業で一定期間働くということは、決して損にはならない(し、そんなことは決してあってはならないのですが)と思います。私も米国での起業の1つの目的は、「米国学問修行の結果の力試し」でしたから。

逆に、最終的にたとえacademiaに残るとしても、社会の一員として常に非学術世界とも交われるよなタイプの研究者は、今後確実に重宝されると思います(でないと日本のacademia、特に行動社会科学、人文系は本格的にヤバイと感じます)。ですから、今後の身の振り方がどうであれ、企業就労体験というのは、有効に活用できる体験になると思われます。いまビジネス界では著名大学院でのPh.Dのような特殊な才能を持つ人々を歓迎する雰囲気が出始めていますし、おまけに、大企業にとっては景気が上向いています。景気が上向き始めたときは、特に大手企業は前倒しで人員採用を最も活発にしますから、今がチャンスと言えるのかも知れませんね。

で、結論から言いますと、私が行動社会科学系Ph.D取得者に期待することは次の3点です。

1) 「アカデミックな視点」(見方・考え方)で発想できること
2) lay peopleを凌ぐ「論理/合理性」で案件を骨格化できること
3) 仮説-検証プロセス時の「論証デザイン」が組めること

これをごらんになってもお分かりのとおり、「学者的知識を披露すること」というのは一切入っていません。手がける問題や案件から遊離した学術情報はときにただの「トリビア」以下に映ってしまい、事業人には邪魔に見えることがあります。また、このご時世、知りたい情報は「フラグメントでよいなら」ネットでいくらでも探せるのです。Ph.Dはここには不要です。

この点はご注意ください。「何を知っているか【そのもの】」が辛うじて21世紀のビジネスにおいて有用なのは、MD…いや、それも怪しいです。ゆえに、「私こんなことも知っています」とアピールするのは、多分経営者にとってはお門違いに聞こえると思います。

故にこそ逆に、「フラグメントでない知識」、もっと言えば、「一貫性のある論理的な発想法」みたいな、5年のトレーニングを通してしか身につかない類のものは、学部卒やMAの人たちには不足しがちです(むろん、Ph.Dの人でも欠如している人々がいるとは思いますが)。それが上記の1)に当たります。常識やnorm、消費者としての自分の癖に縛られない、ちょっと高所である学術視点から卑近な社会現象を捉えなおす眼力。これは、調査にもマーケティングにも事業戦略にも、有効な能力です。

2)もそこから派生しますが、とにかく、論理の刃が優れていることが、事実情報を大量にコレクションするより、実戦では遥かに素敵です。何らかの案件があるとき、それを個人的意見や「普通こうですよ」などの適当な批判でなく、Ph.Dジコミの論理・合理を通して「これこれだからこうでしょう」と結論付けることのできる整理力です。多くのビジネスの新規案件は、コンサルティング会社でのものですら、案外ふにゃふにゃで捕らえにくいものが多いです。そこに骨格を通すことのできる論理力というのは、非常に求められています。

最後の3)はより具体的ではありますが、もし何かをすることに決まり「仮説-検証」のシナリオを描いたとしたら、それを検証するのにどういうデザインが最適かを抽出する能力です。もしそれが本当の実験であれば、2要因2水準の分散分析デザインがどうした…とかになるのでしょうが、そこまできっちりとしていなくても、どのような手順でどのようにデータを集めて、どうなったらどう判断するか、のプロトコルを策定することのできる力、ということでしょう。これはやはり、科学論文を読み込み、己でリサーチを企画・実行してきたPh.Dにこそ求められてしかるべきものだと思います。

逆に、私がPh.Dのcandidateを目の前にして懸念する事項(つまり、そこを問い質したいと思う点)は次の3点です。

1) このPh.Dは「オタク」ではないか?
2) このPh.Dはコミュニケーション能力が高いか?
3) このPh.Dはキャリアパスが明確か?

1)は、まさに先ほどの長所1)の正反対に当たりますね。オタッキーな学術知識は持ち合わせているが、それが往々にしてフラグメントな場合、その人はあまり使い物になりません。一貫性も妥当性も怪しいからです。Ph.D同士で学術話はできるが、他の社会人とは世間話もできないというのではヤバイですし、仕事になりませんから。

2)も似ていますが、「自分の長所1)から3)をきちんと言語能力を使用して使える」かどうか、ということが気になります。企業組織では、能力が10あってそれを6しか表現できない人より、能力が7ですが8表現できる(つまり、1はハッタリ)人の方が遥かに重宝されます。言語能力だけでなく、連絡を取る能力、交渉できる能力、謝れる能力なども全て含んでのことでしょう。ビジネスが長かった私にとっては、意外とこういう点ができていない「非常識な」研究者がいることは純粋に驚きでした。

日本の企業がPh.Dの採用に当たって最も怖がるのは、彼らが企業組織にとって「宝の持ち腐れ」にならないかどうか、という点です。そうならないためには、それらの「宝さん」たちが自ら語り、動き回ってくれることが一番です。何となく堂々として会話をこなし、自信ありそうなPh.Dだったら、どこの企業でも感触はよいと思いますよ。

最後の3)ですが、株価のよい大企業やベンチャーなど、今後「talented」に頼って行く必要のある企業では特に、少し気になる点となります。つまり、「いまacademicポストがないから『腰掛け』でうちに来て、またポストがあればすぐに出てしまうのでは?」という懸念です。ですから、もしacademia復帰の企みがある場合は、素直に話して疑念を払拭することがよいかも知れません。

例えば私なら、「academicポストも狙っているので、2年ごとに空きを確認する予定。が、その場合も共同研究として御社とは繋がっていく」ということを、できるだけ具体的に話すと思います。これなら、相手側にも義を通していますし、相手としても、止められたらそれっきり、にはなりませんから、安心して2年ごとに契約を見直すことができることでしょう。




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The Worst Trip, the Best Summer Experience(米国ダートマス大での"Summer Institute of Informed Patient Choice"参加報告)

4時間もの遅延の末に予定の便は欠航し,7時間後にようやく離陸した代替便では長距離バスの最終便に間に合わず(つまりバスで3時間かかる大学までは行き着けず)空港で足止め,挙句にスーツケースは紛失し,遂には付近のホテルが全て満室のため空港ビルで野宿(ここら辺で寝てました)をさせられる---.海外旅行に際して考えうる全ての不幸を伴って,私が参加したDartmouth College(米国New Hampshire州)での医療意思決定に関する学際的なsummer institute,"SIIPC 2008"は幕を開けました.

セミナーの背景と内容

このプログラムは,正式には"Summer Institute of Informed Patient Choice"と呼ばれ,医学大学院に併設されている研究所であるDartmouth Institute for Health Policy and Clinical PracticeのCenter for Informed Choiceという部門が4年連続で毎夏に開催しているもので,世界中から広く研究者の参加希望を受け入れています.今回が2度目の開催であり,実は去年の初回時に応募するも,修士課程の私はqualification不足ゆえか不合格だったのです.博士課程1年目の今年に,見事リベンジを果たすことができました.セミナーの詳細については,プログラムのページで確認して下さい.

6月25日から始まった8日間のカリキュラムでの主要テーマは"(医療者と患者との)shared decision making(SDM)"とそれを可能にするための"inter-professional education".全世界的な潮流である"'患者中心'の医療"の骨格となるSDMを学際的な枠組みで捉え,これを実現するために現場のプロたちがどう連携すべきかという応用的研究成果を中心に議論していくという,極めて野心的な取り組みです.20年以上も前から欧米の医療界で議論されてきた"患者中心"という概念ですが,情報の非対称性があまりに強い実際の医療現場において完全に意思決定を患者に委任することもできず,なかなか有効な実施には至りませんでした.しかし,医療者と患者双方が試行錯誤を続けていく中で,"患者視点での医療情報の提供により意思決定の質を向上"("informed patient choice")させながら,"医療者と患者とが意思決定のプロセスを共有"("shared decision making")していくという枠組みが提案されて来ました.この枠組みの学術的研究こそが,このsummer instituteが4年間を通じて追求しようとするテーマです.

しかし,個人の決定を中心に据えた認知科学的な意思決定研究とは異なり,複数で多様なプレーヤー達が集団力学の中で動く現象を扱うSDMの世界は,それを厳密なサイエンスの対象とすることにも骨が折れます.研究者がどの側面を強調するのか--情報の流れ,グループ内ダイナミズム,治療オプションの価値や確率,リスク認知--によっても,見えてくる世界が大きく異なるため,共通の言語で現象を語ることさえ一筋縄にはいきません.厳密さを求め過ぎると生々しい現象を単純化し過ぎてしまい,逆にすっぽりと現象を記述しようとすれば,あまりに"文学的"な言葉でしか対象を把握できず一向に分析が進まない….我々認知科学を研究する者たちが時に嵌まり込むテーマが常に眼前に突きつけられるのが,医療におけるSDM研究とも言えるでしょうか.特に,"応用と実効性"(患者の意思決定を補助するdecision aidsの作成)を常に問われるため,そこへの配慮も必要となります.

このようなジレンマを抱えつつも,医学・生理学,心理学,社会学,文化人類学,経営学など様々な学問の研究を積極的に援用しながら対象に肉薄し,医療現場の勘だけに頼らず,医療改革のために必要な研究と実践とを結ぶ枠組みとしてSDMは注目を浴びている学際研究です.このように,今なお枠組み自体が進化の真っ只中にあるこのエリアのビッグネーム達が漏れなくセミナーのfacultyを占めており,参加者も"生徒"としてではなく,"一緒にこの学問を進化させるための共同研究者"として議論に参加することが望まれていました.Faculty側も,我々参加者のインプットを活用してこの研究領域全体の進展を目論んでいるようでした.当然こちらにも最先端の知見に触れられるなど多くのベネフィットがあります.非常に戦略的なやり方だと感心しました.

毎回の講義は次のように進みました.まず,M.D.やPh.D.の混ざったfacultyメンバーが最前線のSDMの取り組みを報告し,それを受けて受講者のうち医療者が意思決定支援に関する現場での問題点を指摘する.そこに,可能な分析の視点や現象をより深く把握するための研究の示唆などを,今度は受講者の中の研究者達が提案し,それを別の研究者が,構成概念の操作的定義も含めて建設的に批判し,今度はその実現可能性を医療者がフィードバックする…というサイクルです.むろん,常時このような理想的な形で議論は進みません.時にはまとまりのない議論が投げっぱなしで終わることもありました.しかし,"'答え'を性急に出すよりも'問う'ことを確実に行おう"という精神は,6日間を通じて我々を離れませんでした.このような極めて濃密な時間が,毎日朝9時から夕方5時まで続きました.しかも,土日すら関係ないという,米国にはあるまじきスケジュールで.

セミナー参加者の顔ぶれ

世界各国からの参加者は,このセミナーの学際的性格を反映して非常に多種多様でした.70名の参加者はみな,何らかの形で現場での研究を行うという点では一致しているのですが,医師,研究者,研修医,関連財団や患者団体のトップなど,実に多彩な顔ぶれでした.このうちの10%程度が私と同じように博士課程後期の学生もしくは研修医でした.アジアからの直接参加は私ただ一人.欧米で研究するアジア系の参加者は10%ほどいました.見回すと,米国,カナダ,ドイツ,オランダからの参加者が大半で,かの地での医療現場と認知・社会科学との距離の近さを図らずも示していました.日本では今ようやくSDMの萌芽が見られる段階ですので,5-10年ほど早く最新トレンドに触れた感触がしています.

セミナーでは,7名を1つのグループとしたグループワークがあるのですが,ここでの情報交換も非常にためになりました.セミナー参加前に選択した特定のトピックの元に集まったメンバーが,4度のセッション(1回2時間)を通じて講義の資料などを活用しながら,セミナーの最後にある30分間のプレゼンテーション作成まで漕ぎ着けるという作業なのですが,その合間に行われるやり取りがとても刺激的でした.皆がフィールドを持つ身なので,講義で学んだ内容がどのぐらい自分のフィールドで有効かを語るのですが,肩書きも研究のバックグラウンドも,そして国籍も異なるメンバーの語るストーリーの面白いこと."オランダの外科医はそう考えるのか!","カナダの看護エリアでの取り組みは進んでいるなぁ"と,多くを学ました.しかも,皆が何らかの研究背景を持つ人たちであるため,議論の内容もフォーカスされそれほど散逸はしません.貴重な異文化・異業種体験でした.

最初の2・3日で"仲良しグループ"と呼べるようなものが自然と出来上がっており,私もアジア系とカナダ人の参加者を中心としたグループとよく行動を共にしていました.奨学金でカバーされない夕食をとりに,寮の玄関で毎日18時に集合して町のレストランへ繰り出すのですが,酒もほどよく入ったテーブルはいつも"宴"のような賑やかさでした.医師も多かったため,病院での珍妙な出来事など雑多なトピックが競い合うかのように披露されみな大いに笑い,まじめな勉学の間の楽しいリフレッシュとなりました.

セミナー参加者には,私と同じように認知系の心理学を専門とする研究者も4名ほど参加しており,その全員と貴重な意見交換ができました.医療者が多数を占める集団にあって,"認知心理学 + 医療意思決定"という特化したエリアですので,研究背景に差異はあれども方向性が重なります.大いに話が弾み,ビールやコーヒーを片手に,今後のSDMへの各自の貢献の可能性などをよく議論しました.私が最近興味を持った意思決定上のテーマの1つである"choice overload"研究の第1人者であるS. Iyengarと強いコネクションを持つニューヨーク大学の博士課程のドイツ人研究者と出会えたことは幸運でしたし,以前から知り合う機会を伺っていたMax-Planck Institute(ベルリン)の医療意思決定の研究チームを知るハイデルベルグ大学の研究者との出会いも今後に繋がりそうです.

当然のことなのかも知れませんが,このような国際セミナーでの醍醐味は,優れたプログラム以上に,今後も続くだろう貴重な研究者とのネットワークなのでしょう.

既に出始めた"成果"

僅か8日間のセミナーでしたが,既に"成果"もいくつか出始めています.前述したニューヨーク大学の研究者は,私との共同研究プランを含めたプロポーザルを母国の研究助成金にセミナー最終日に提出しました(行動の早さに驚きましたが).また,特に仲良くなったマレーシア出身の医師(糖尿病専門医)で現在英国シェフィールド大学にて博士課程在学中の研究者には,私の研究エリア(医療におけるリスク認知)に関して彼の研究チームと比較文化的な共同研究ができないかと持ちかけられ,こちらも日英の医療研究に特化した研究助成金に申請中です(結果はこちら).特に後者の場合は,助成金取得の結果に関係なく,中期的な共同研究プログラムを計画中です.

セミナーが終わり参加者が世界中に散り散りになっても,そこで培った人脈はメールで距離をものともせずに未来に繋がり,新しい成果が生まれていく….そんな手ごたえを今,ひしひしと感じています.

最後に

最悪のイベント(…と周囲は言いますが、本人には全く堪えていなかったばかりか、どちらかと言えば冒険的で楽しい経験でした…プログラム参加者からはその後「伝説」と呼ばれ、有名人になっていましたが)で幕を明けた今回のsummer instituteへの参加は、最高の学びと出会いを私にもたらして幕を閉じました。実は帰りの飛行機でもスーツケースと一緒に成田に到着しなかったのですが、それはまたの機会にでも(面白おかしく報告したら勝手に皆の間で「またかよ、Noriは!?」と閲覧されているらしい英文メールの一部はこちらから)。消化し切れないほどの収穫があったこのプログラムには、来年もまた懲りず(!)に応募したいと考えています。





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英国シェフィールド大での共同研究のための4週間、および週末のLeedsとLondon見聞

5月16日から6月13日まで、英国北部のヨークシャー地方にあるシェフィールド大学にて4週間の学術出張に行ってきました。共同研究の内容は、乳がん患者さんの再発をはじめとする治療リスク認知の定量的な把握、および、GP(家庭医)とのリスク認知のギャップを埋めるためのリスクコミュニケーション技法の定性的な把握です。

シェフィールド大メディカルスクールでいまD論(Ph.D)執筆真っ最中のマレーシア人医師(MD、家庭医)と1年前のDartmouthでの奨学プログラムで出会い意気投合したことがきっかけで、彼のdepartmentに呼んで貰いました。彼はUniversity of Malaya(マレーシア最初の国立大)の医学部で准教授をしていますが、今長い目のサバティカルという感じです。Dartmouthに米国の金で2週間滞在し、その間に英国とのネットワークができて相棒はマレーシア人。私の研究人脈も一気に国際化して参りました。

シェフィールドは英国第5の産業都市ながら非常にこじんまりとしていて人ごみも少なく、(私が住んでいた辺りは)18・19時に店が全て閉まるけど21時まで太陽が沈まないという、時間がゆっくりと進む町でした。ロンドンとはえらい違いです。交通もクリーンな路面電車(tramと呼びます)が発達しており大変に便利。大学町なので、文化レベルも(中心部は)とても高く、住みやすかったです。とは言え、オフィスが町の北にある総合病院の敷地にある研究棟にあったので、ほとんどメインキャンパスには行かなかったですが。

いずれにせよ、長期的な共同研究になるだろうな…とすぐに感じました。知らなかったのですが、一応ノーベル賞を4人出している大学ですし、そもそも出自が医学部なので、医学系の認知・行動・社会科学研究がかなり盛んで、私が寄与できるエリアも多そうですから遣り甲斐はあります。我らの研究チームでは、「来年、再来年も共同研究して『毎年Noriを呼ぼう!』」と勝手に皆で盛り上がっていました。そう上手く行くかなぁとも思いますが、何とかなると思います。

それはそうと、なんだか「visiting researcher」の肩書きを知らん間に頂戴して構内カード(「『Dr.』 Nori Hirahara」と間違ってたけど(笑)…医学系なので慣習らしい)ももらい、研究室からも当座必要ないくらかの「cash advancement」まで支給されました。


← 街中を走るtram (...もっと速度落として下さい)

居候先は前述の共同研究者で仲良しの、3つ年上のマレーシア人医師兼研究者、CJのアパートの1室でとても快適でした。こいつが聖人みたいにいい奴でして…。Ph.Dやりながらも並行してGP(家庭医/開業医)としてのpracticeまでしているのに、よく面倒みてくれて、多忙だけどとても規則正しい。とにかく、たくさん学ばされ、いい刺激をたっぷりと受けました。いくら感謝しても感謝しつくせません。彼の大学の医学部との共同研究も、早速2人で計画を考えています。長い付き合いになりそうです。

最初の全体セミナーでは、ざっと集った10名の同じオフィス(オフィス机までくれましたよ…)の研究者のうち、実に9名が医学博士でかつGPというのが圧巻でしたね!こんな体験は今まで日本でもなかったです。皆さん、今もリアルタイムで家庭医として診察を続けながら患者心理に関する研究をしてしているという、まぁ色々な意味でシステムが恵まれているし、努力をしています。最初の概要発表でめちゃくちゃ有意義な議論ができて少し焦りました。
↑ 受けがよかったが質問攻めでくたくたになった、1時間の講義の様子(立っているのが私)

かつ、(使わなくてもいいのに…)気を使ってくれて、日本からの研究者のためにセミナー時間を作ってくれたので、英語で1時間、「治療リスク認知」に関して講義をしてきました。まぁちょっとずれている質問もありましたけど、ほとんどは凄くためになる質問と議論でした。こういう刺激はときどき得ないと行けませんね。言語も習慣も慣れ親しんだ日本の遠慮がちな環境だけに漬かっていると、体がふやけてしまいます。

そうそう。こちらに来てとにかく最初の2日間で最も印象的だったのはweatherです。1日に晴天・曇天・小雨・大雨が見事に全てやってきます。ときには、「おっと、今日は雨が少なかったぜ?」と天気が考えているかのように、夕方に晴れているにも関わらず大雨が急ぎ足で降ります。

1) 何故イギリス人が天気の話ばかりするのか
2) 何故イギリス由来の服にはフードが付いているのか

が、実体験として了解できました。それともう1つは、これは危険なgeneralization/一般化でもありますが話のネタとして、イギリス人のstubbornness(頑固さ)の由来も天気が理由かと、相棒のCJと話しました。

彼も、シェフィールドに来た当初、「天気の変化に惑わされるな。やりたいことがあったら、雨が降ろうが灼熱の太陽が出ようが、やれ。でないと人生で何もできなくなる」と教授からアドバイスされたそうです。確かに、天気のご機嫌を伺っていたらここでは何も出来ない。お天道様や雨の恵みを友とする東アジア人とのmentalityの違いは巨大で、名著「風土」を書いた和辻哲郎でなくても、環境→人格のラインを考えてしまいます。

4週間基本的に研究漬け(チーム会議、全体セミナー、違うdepartmentの医師や研究者との会合、患者支援組織のリーダーへの聞き取り、そして個人作業)だったのですが、週末は2回、息抜きに他の場所へ足を伸ばしました。


↑ チーム会議の様子(左から時計回りに家庭医のHina, MD、臨床心理学者のJoanne, Ph.D、
そして家庭医/糖尿病専門医のCJ, MD)

2週目の週末はLeedsに行って来ました。300万人の人口を抱えるこの大都市は、SheffieldからNorthern Lineという電車ですぐ行けます。特急みたいなのに乗れば45分で、普通っぽい奴だと1:15ぐらいで行けます。これまた、去年のDartmouthの奨学研究者プログラムで出会ったVikramという「喋りすぎるインド(系イギリス)人」の研究者がUniv. of Leedsでmedical education(医学教育)を専門に研究しており、CJはその後まだ一度も会っていないとのことで、私をダシに会うことになったものです。物凄くよい天気(珍しい)で、たくさん歩きました。Vikは相変わらず喋り巻くっていましたが。

Sheffieldとは異なりとにかく大きな都市で、古い建物と新しいものとが混在している所でした。「無印良品」までありましたね。大学も、4つぐらいが中心地から徒歩圏内に固まっており、その充実振りを見せ付けていました。もちろん、その分色々な人もおり、夜の街では異性人みたいな連中やら将来を危ぶみたくなるような青少年もあちらこちらにおりましたが(Berkeleyほど奇天烈なのはいなかったですが)。

結局、凄い人気のパキスタン料理店に行ったのですが、何か手違いも重なって1時間近く凄い待たされて、食べ始めたのが20時。食べ終わって店を出たのが22時という状態でした。とても美味くて満足しましたが。我々はいつも健康的に、23時ごろに寝て6時には起きるという生活を続けていたから眠たくて困りました。結局、真夜中の0時を少し過ぎての帰宅です。帰りの電車では酔っ払い(「英国問題」と2人は呼んでいた)がうようよおりました。電車内で「うぃー~!」とビール瓶を持っている姿は日本では中々見ないですね。


↑ 息継ぎするのだけは忘れるな、medical educationの研究者Vik(左、パブにて)

そして、3週目の週末にはLondonに行って来ました。Sheffieldからは特急で2時間ちょっとかかります。CJは妹さんが15年以上暮らすLondon郊外へ行き、私は市内のホテルに陣取り見聞を広めました。とは言っても、大英博物館、国立美術館、テート現代美術館…と、アート系ばっかりで偏っているのですが。もちろん、日本と同様によく道に迷いましたよ。Googleマップもきっちり印刷して持参してましたが、そんなもん関係ないのです。

行きの車中では、CJとずっと共同研究の話、および二人で執筆しているconcept paper(「risk perception in healthcare」がテーマで、public health系journalに投稿準備中)のアウトラインを詰めていました。あっという間にSt. Pancras駅(英国~フランスを2.5時間で結ぶ「ユーロスター」ってのもここから出る)に到着。彼は妹さんの住むロンドン郊外へ地下鉄で向かい、私はそのまま大英博物館へ。もちろん着くまでに軽く迷い、でかい館内を1.5時間ほど見学。でか過ぎて、1階の古代エジプト~ギリシア・ローマで時間が尽きました!

歴史の教科書に載っている古代美術品が柵もされずにどーんと丸出しで置かれており、世界各国からの観光客がその前で記念写真。完全に観光地になってたのがとても面白かったですね。エジプトのミイラと記念写真ができるって辺りが、大英帝国の余裕を感じさせました。

翌日は朝早く起きて観光メニューをこなしに出発。最寄り駅のRussel Squareがとても近いので驚きました。私は前日、一体どこを歩いていたのか?Green Park駅で降りて歩きます。Green Parkという大きな公園をずっと南に歩いていると、バッキンガム宮殿を発見。すると、何か人がたくさん集まっています。いつもの衛兵の交代でもあるのかと少し待っていると、そんなもの比較にならんほど私がどえらく運がよかったことが、近づいてきたLondon在住の「王室ファン」の英国人おっちゃんの話で判明。

何でも、女王の誕生日がもうすぐらしいが、そのときの全騎兵隊、馬車、鼓笛隊を総動員する華麗な式典のリハーサルがこれから始まると言うのです。「これから」と言ってもさらに40分待ったんですけど。その模様は動画にも取ったので、またウェブにアップしたいですね。とりあえず、あんなに賢い馬たち(待ってる間も全く暴れない!)を300頭ぐらいいっぺんに見たのは初めて。馬車をごろごろ見たのなんて今までアニメの中だけですよ!さらに、スキップする(させている)馬も初めて見ました!とても賑やかな40分程度のリハーサルでした。(本当はもう少しあったのでしょうが、もう満足したので移動。)

St. Jame's Parkを観光客がぞろぞろ横切って歩きます。Londonはとにかくparkが多い。あちらこちらにほどよい大きさの公園があって人々がくつろぎ、とても緑豊かな町で感心します。St. Jame'sはかなり大きかったですが。何かすげえ威圧感のあるビルがあったので写真取ったら法務省でした。地下鉄の駅も趣がありますね。しばらく歩くと、おぉ!遂に出たWestminster寺院!ダイアナさんの葬式もここだったなぁ。とにかく物凄い建物で驚きます。あの芸術的な外壁は、信仰心がないとできんなぁ。まぁ圧倒されました。金がいるので中には入らないところが大阪人でしょうか。隣のSt. Margaret教会には入れましたが。しばらく中で佇む。ステンドグラスにしびれました。

そのまま観光客でとにかくごったがえしている国会前広場へ。気合入りまくりの国会建物を見ながらWestminster橋の方へ向かいます。広場ではデモしてました、スリランカ関係で。ビッグベンが丁度正午をお知らせしている頃、てくてくと北の方角へテムズ川沿いに歩きました。London Eyeという観覧車やお馴染みの遊覧船がたくさん行き交っています。向かっているはずの駅から1つずれた駅に到着しましたが、どんまい気にしない。そこから感じのよい店がずっと続きます。そこでインド系の兄ちゃんから昼飯を買って側にある広場へ。アフリカ系の兄ちゃんらがゴスペルコンサートしてました。そこで昼飯を食いながらしばらく休憩。1歳ぐらいの白人の男の子が野放し状態にされており、私によく近づきとても面白く、セガレを思い出しました。

そこを離れてしばらく歩くと、お目当てのCharing Cross駅に到着。ここもまた古い建物でしぶいです。そこからすぐにトラファルガー広場に出る。噴水がどかーんと景気よく吹き出ており、世界中からの観光客が日向ぼっこ。世界的な不況でも、皆さんどこ吹く風でとてものんびりしておられました。すると見えるのがNational Gallery!もちろん無料なので遠慮なく入ります。教科書で見た絵画がごろごろと展示されており、まぁ大変な数ですね。説明を読みながら回ります。でかすぎて館内で余裕で迷います。が、1200-1900年までの欧州絵画なので分かりやすく、解釈にはそれほど時間がかからないため、2時間で一通り回れました。外に出ると相変わらず皆さん広場でくつろいでいました。

後は…そうそう、St. Paul大聖堂が素敵でした!近代的なビルの谷間からごっつ威厳のある伝統建築が見えるさまはとても好ましかった。私にとっては、Londonの醍醐味はこれです: 新旧の渾然一体。この大聖堂がとてもよくて、かなり気に入りました。Westminster周辺と違いそれほど観光客でごった返しておらず(早朝というのもあるが)、壁の装飾も全く引けを取っていない。中にも無料で入れて祈れる。生まれて初めて教会で金出してろうそく捧げましたよ。あの近辺なら住んでもいいなぁと思いました。チャールズさんとダイアナさんが結婚式挙げたのも確かここでした。

ぐるりと後ろに回って神父さんを発見したりしながら、南に少し歩くとすぐに出てくるのがミレニアム橋。このアートな橋を渡ると向こうが現代美術のメッカ、Tate Modernとなります。煙突みたいなのが立っているのがとてもユニーク。中の展示の仕方も独特で、これまた大いに気に入りました。ここはセガレ連れでも来れそうです。たくさん暴れる場所があって、他のどこよりも、芸術と観客との距離が近い。


← St. Paul大聖堂(Londonの宗教建築の中で最も好き)

先ほどのNational Museumにはゴッホのひまわりもあるしええのですが、何か、中世、近世芸術はそれほど「考える隙間」がないというか…。無論、歴史の知識を動員してそれはそれで楽しめるのですが、「何に見えるか?」なんていう楽しみはないです。やはり、自分は現代アートが遥かに肌に合っているのだと再認識しました。こんな感じで頭も時間も使うため、1フロアの半分を使った1テーマの展示を見終えるとかなり疲れました。

これは大英博物館のときも思ったことですが、1美術館に3日かけて、1フロアごとに見終わったあとに友人や家族と品評して、また翌日に次のフロア…という教養人丸出しの回り方が理想ですね。そういう贅沢なアート体験をしないといけない。いっぺんに横断してしまうと、歴史も跨り芸術家も跨ってインプットされる情報が多すぎてしまい、若干頭が混乱します。まじめに見ようとすればするほど、脳が悲鳴を上げます。

美術館の前の芝生がまた素敵なのがTate Modernです。「Tate」は他にもLondonに3・4個あるらしいので、次回のLondonではまた計画に入れたいです。ところで、「Modern/近代」の抽象芸術は大好きなんですが、「Contenporary/現代」のそれは、ときどきかなりヤバくて意味不明なものも多いので(それはそれで見るのは楽しいけど)、これから勉強が必要だと思いました。特に、「performance」関係のものは今後の課題ですね。今まで引いて見てたけど、ちょっと精進したいと思いました。

その後、テムズ川岸をずっと歩いてロンドン橋へ。この川岸の道が趣があって、レストランなどもたくさん出ておりなかなかいかします。ここはカップル、夫婦か子連れで歩くのが楽しいな、と感じました。一人でノートPCが入ってるやたら重たいバックパックかついで歩くのは、あまり似合いません。ロンドン橋は意外と普通でした。ちきしょう。それよりも、タワーブリッジの方が趣がありますね。そこまで行ってどっと疲れた(Tate Modernで脳みそが、長い徒歩で身体が疲労)ので、予定より早くLondon Bridge駅からKing's Cross駅、そこから繋がるSt. Pancras駅へ待ち合わせの場所へと向かいました。

そこでしばらく待ってCJと落ち合い、往路と同じくEastmidlands電車でSheffieldへ帰ってきました。着いたらもう夜でした(明るいけど)。駅の近くにある、以前にも行った中華料理店で久しぶりに暖かいものを食べて大満足。Londonでは天気がよかったので焼けたのか、店員に私の方がCJよりもマレーシア人に見えると言われて、二人で大笑いしました。

そんなこんなでつかの間の息抜きもありましたが、毎日の研究作業は忙しく、システムの差もあり驚きの連続でとてもrewardingなものでした。来年もぜひ行きたいものです。共同研究の方は、全体のproposal(3つのsub研究inside)も8割がた完成し、来月にはかなり大枠の英国国立系研究費に応募します。研究デザインを固めるときに並行してfundingを考えながら進めるという英国のスタイルは、とても新鮮でした。私がPh.D研究に組み込む予定の担当箇所も、協力者のリクルート作業が既に始まっています。

CJをはじめとしてシェフィールドの皆さん、本当に有難うございました!必ず恩は返しますので、今しばらくお待ちくださいませ。


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